少し前の話で、しかもマニアックな話題になるが、お許し願いたい。
参加しているある勉強会で、友人の大学院生が研究報告を行った。
題材は第二次大戦~戦後構築期のフランスであり、ド・ゴールという個人が
第二次大戦後の戦後構築に与えたインパクトを検証するものであった。
詳細な内容は、分かる人は分かると思うので本人に聞いて欲しい。
そのとき私が彼にぶつけた批判は、概略以下のようなものであった。
「ド・ゴールのキャラの特異性や、大戦期にフランスが置かれていた状況が
従来信じられてきたような単純なものではないことは分かった。しかし、そこから
すぐに、ド・ゴールのキャラクターを独立変数としてWW2の戦後構築の変遷を
説明するのは難しいのではないか。まず構造の分析を行うべきである。なぜ
なら、構造的制約が大きくて個人の活躍の余地がないという可能性があるから
だ。ド・ゴールという個人に焦点を当てるのは、構造分析を済ませてから
でいいのではないか。」
基本的に今でもこの考えは変わっていない。
たとえば、ある企業の属する業界に規制がかかっており、同業他社もそれを
遵守している。自社の業績も問題ない。
その中で、その企業が規制の遵守を続けるならば、それは概ね構造の制約
に従った選択であり、それを説明するために個人ファクター、例えば社長の
パーソナリティに注目する必要はあるまい。
しかし、もしこの企業が敢えて規制の抜け穴をつこうとしたような場合は、
事情が変わってくる。
構造的には遵守行動が続くように見えるのに、なぜかアクターは予想されるもの
と異なる選択をしたわけだ。
そうなると、構造以外のファクター、ここでは個人ファクターに光を当てる意味
が生じてくる(むろん、その個人ファクターに説明力があるかは別問題だが)。
やはり、構造に対する分析が先行するように思われる。
ところが先ほど、打ち合わせから戻る地下鉄の中で面白いことに気付いた。
もしかすると皆とっくに気付いているのかもしれないが。
端的に言うと、観察者が想定する構造は、その中心にどの個人ファクターを
想定するかで変わってくる可能性があるのだ。
わかりやすい例は、小泉・安部の新旧両首相をとりまく構造的制約だろう。
ここで仮に、日本の首相を制約する構造的要件を与党との関係・国民の支持様態・
日本経済の状態と考えてみよう。
抽象的に考えると、与党との関係が悪く、国民の支持に依存している政権は
大衆迎合的な政策を採り易いと思われる。一方、与党によって強力に支えら
れている政権は、国民の期待を少々裏切っても短期的には進退問題には
ならないため、政党の論理で政策決定することが多くなるだろう。
また経済状態に対し多くの人が危機感を覚えている場合、トップダウン式の
意思決定は多少痛みを伴うものでも受け容れられやすいが、対して危機が
去った後は議論を積み重ねることが重視される。
さて小泉前首相は、与党自民党と内閣の擬似対立を作り出し、勧善懲悪の政治ドラマ
を国民に見せることで支持を調達した。支持があるからこそ、政権基盤であるはずの
与党との対決を持続することもできた。背景には、「失われた十年」を経験し、
待ったなしと言われた日本経済の惨状があった。
他方、安部首相は旧来的な自民党の論理にそれなりに配慮した人事を差配し、
与党との関係は表面上良好である。支持率もそれなりに高い。
訪中・首脳会談を実現させ、郵政で離党した議員の復帰を受け入れる姿勢を
見せるなど、与党の論理に沿う選択がまま見られる。
日本経済はいざなぎ越えを噂される長期景気の中にあり、財政再建よりも
分配のやり方に衆目は移行している。
このような両政権の描写は、概ね上記の抽象論に合致するものである。
しかしよく考えてみると、先に構造として設定した三点のうち、前二者は所与の条件
というよりも各首相の特色との関係で形作られたものではないか。
となると、そもそもはじめに設定した構造要件自体の妥当性が問われることになる
が、それは本論の主題ではないので措いておく。
最も重要な点は、アクターから切り離されたものとしての構造を想定できるのか、
ということにある。
小泉政権末期と安部政権最初期において、客観的に観察可能な政治情勢に
ほぼ差は存在しなかったはずである。
にもかかわらず、安部首相が生まれた瞬間に、日本政治を制約する構造は大きく
変化した。
より正確に言えば、日本政治を説明するときに設定される構造が、大きく変化した。
してみると、構造分析が個人分析に先行すべし、という先の命題の妥当性も怪しく
なってくるように思われるのだが、どうだろうか。
諸学兄の意見を伺いたい。